建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年7〜9月号〉

interview

第二回 第三回

わが国の再生はここから

活気を取り戻した都心区

大規模再開発が目白押し

東京都港区長 原田 敬美 氏

原田 敬美 はらだ・けいみ
生年月日 昭和24年3月20日
出身地 東京都
昭和49年3月 早稲田大学大学院卒
昭和44年〜45年 ウースター大学留学(アメリカ・オハイオ州)
昭和46年 クリスチャンソン建築事務所研修(ストックホルム)
昭和49年〜51年 ライス大学大学院留学(テキサス州ヒューストン)
昭和57年 (株)エス・イー・シー計画事務所 設立 代表取締役 就任
平成12年 (株)エス・イー・シー計画事務所 代表取締役 退任
平成12年6月 港区長(一期目)
・座右の銘 see you(一期一会)
・趣味 マリンスポーツ
・好きなスポーツ 野球
・感銘を受けた本
(1)収容所から来た遺書 (2)坂本龍馬 (3)か・かた・かたち
我が国の首都・東京の中でも、港区といえば知らない人のいない都心区の中の都心区。バブル崩壊後は、相続税、固定資産税の重圧から人口が流出し、昼間の過密、夜間の過疎化が進んだが、地価下落に伴う都心回帰から、再び定住者人口は増加しつつある。しかし、港区の人口回復の原因は、単なる都心回帰だけでは説明できない。不況にも関わらず、次々とクレーンが立ち、10ヘクタールを超える大規模再開発が至る所で進められているところにポイントがある。元は設計コンサルタント会社を経営し、建築の専門的ノウハウを持つ原田敬美区長のキャリアに呼応したかのような感があるが、同区長は、「港区が持つ地域としてのポテンシャルが決め手」と分析する。
──最近、都心区の人口が回復しつつあると言われますが、港区でもかなり増えてきているのでは
原田
そうですね。大まかに言えば、約16万3千人です。平成7年度の人口が最も少なく、15万人を割っていました。当時は14万9千人くらいにまで減少しましたが、その後、ドラスティックな定住対策を進めた結果、人口が少しずつ増加し始めました。都心回帰という日本全体の大きな潮流もあると思いますが、お陰で16万3千人にまで戻ったという状況です。
その他にも、外国人の在住者が1万6千人くらいいるので、それを合わせると約18万人弱となります。
──港区に居住する外国人は、北米人の比率が高いと聞きます
原田
確かに、最も多いのはアメリカ人で、あとは韓国、中国の人々ですが、概ね120ヶ国の外国人が外国人登録をしています。居住者の国籍はバラエティーに富んでいます。
──今年の1月に総務大臣表彰を受賞しましたね
原田
港区には、ビジネスチャンスを求めて居住し、会社を興すケースがよくあるので、区としてはいわゆる「国際スタンダードのまちづくり」を目指し、世界に共通する物差しの中でのまちづくりを進めてきました。また、そうした外国人の生活支援のために、例えば保育園や幼稚園にも、積極的に外国人の子弟を受け入れ、平等な保育サービスを提供しました。外国でも、保育園には外国籍の子供を受け入れています。
今年からは予算の範囲で、区内全ての小学校、中学校で、ネイティブな英語ができる外国人を登用し、朝から夕方まで毎日、学校で指導に当たってもらうなど、外国語教育を積極的に取り入れます。そうした交流や教育も含めて、世界に開かれたまちづくりを進めてきました。ということで、総務省から評価をいただいたのではないかと思っています。
──そうしたまちづくりへの姿勢が、アフガニスタン支援会議の成功に結びついたのでは
原田
私たちの立場で言えば、港区内の会場で、広く区民の方の協力をいただきながら、交通規制はあったけれども、区民のご理解の中で、港区でそういう国際会議がなされたということは、行政にとっても区民にとっても、世界平和に貢献ができたという意味で、誇りのひとつだと思っています。
──最近は、他区も含めて再開発事業が集中的に行われていますね
原田
現在、港区の中の大型のプロジェクトとはいくつかあります。一つは汐留再開発です。これは、区域面積が汐留本体で25ha、それに関連する隣接のエリアを含めると31haの規模ですね。さいたま新都心が、確か45haでしたから、その6〜7割くらいの規模の都市開発が進められています。今年の12月には一部で入居開始となるようです。
それに続いて、品川駅東地区があります。対象面積は16haで、次に六本木6丁目の約12haです。
六本木6丁目はおそらく、民間単独の再開発としては、世界の最大規模のものだろうと言われているだけに、小泉総理はじめ政府閣僚が大勢、上棟式のお祝いに駆けつけてくれ、私も地元を預かる立場としてご挨拶をさせていただきました。
それに引き続くものとしては、これから動くわけですが、防衛庁の跡地再開発が控えています。町名で言えば赤坂9丁目です。場所は地下鉄六本木駅のすぐ裏手になりますが、面積は10haになります。これは、三井不動産が落札したわけですが、民間の規模としてはかなりのものになりますね。
この他に見逃せないのは、完成にさしかかっている「六本木1丁目西地区」の7haと、これから動く、「環状2号線沿線」で、これは1.4qの長さの道路を、再開発手法で作っていくものです。面積はトータルしてもそれほど大きくなりませんが、1.4qの道路を再開発で整備するわけですから、それなりに大規模なものになると思います。
民間ではなく公共団体によるものでは、「芝浦アイランド」もあります。これは79haに上ります。基本的には都市整備公団を中心に開発される予定です。
──大型再開発が目白押しですね。その背景には、やはり地価下落があるのでしょうか
原田
一つには立地条件や、歴史的な背景が考えられるのではないかと思います。立地条件は、特に港区の金融面ですね。特性として言えば、大雑把な話ですが、国の年間の歳入額が50兆円と言われています。そのうちの約3兆円、つまり6%は、港区内にある2つの税務署で徴収されたものです。それだけ、港区内には有力企業がたくさんあるということです。
東京都だけで見ると、東京都の年間歳入は約5兆円。そのうちの約12%を港区の都税事務所が徴収しているわけです。したがって、国の歳入で見ても、都の歳入で見ても、港区はそれだけ経済活動において重要な役割を担っている地域であると言えます。
国際経済という観点で見ると、いわゆる外資系のカタカナ企業や、外国の金融機関の東京支店、アジア支店は、ほとんどが港区にあります。つまり国際経済の拠点であるわけです。そうした地域性が、大規模なプロジェクトの要因になっていると思います。経済活動の受け皿として、もっともっとスペースと人を必要としているわけです。
立地条件という点で見ると、港区の場合は、私が区政のキャッチフレーズとしているように、「陸・海・空・情報の港」です。陸は品川駅に、来年新幹線の駅ができますから、西日本への玄関口になります。港湾には埠頭がたくさんあるので、近距離ではありますが国内航路の玄関口となっています。空港については、モノレールが新橋まで延伸されますが、浜松町駅があり、モノレールのゲートであり、すなわち空への玄関口になっています。さらに、品川駅は京急線で羽田まで繋がっているわけです。それと他の私鉄とを相互乗り入れすることで、成田空港にまで繋がっているわけです。そうした条件で見ると、陸海空のターミナルは港区にあるわけです。
公共放送であるNHKも、かつては愛宕山にあったのです。今でこそnhkは移転しましたが、民放各社のステーションがあります。日本テレビの社屋は現在、工事中で、汐留に立地しますが、それ以外は、tbsが赤坂、フジテレビがお台場、テレビ朝日が六本木、テレビ東京が神谷町と、すべての民放が港区に存在します。
そして周知の通り、東京タワーも港区ですね。こういうわけで、情報発信はすべてここから行われるという意味で、人、電波、交通の結節点、すなわちハブ地域といえるわけです。これが一つのディシジョン・メイキングが行われる、大きな背景になるのだと考えています。
──都心の再開発といえば、通常は構想から着工まで、20年から25年はかかるのが一般的ですね
原田
汐留や品川、また防衛庁跡地などは、元々更地だったところです。芝浦アイランドも、元は都交通局の都バス車庫があったところです。そうした更地を再開発するので、メリットが大きかったということです。
環状2号は建て込んでいますが、やはり交通のネットワークとして整備をしなければならないという、時代のニーズの中で、必要性が高まった結果として動き始めたわけです。

(第二回)

我が国のセンター機能を備えた都心区・港区は、東京再生に向けて、最も重要な地域だ。しかし、その都市づくりにおいては、過密、過疎の別なく全国一律の建築基準法では限界がある。その意味では、大都市を対象にした都市再生特措法の施行は、より的確に都市問題を解決する上で、大きな威力を発揮しそうだ。
──陸海空の交通機関がそろい、マスコミ、金融機関、その他あらゆる分野の企業の本社機能が集中しているとなると、港区だけで一つの独立国になれますね(笑)
原田
そうですね(笑)。港区の税収は、本社機能がほとんど港区にあるわけですから、国家に匹敵する中枢都市であるとは言えます。
しかし、全国の地方支店から集められる収益は、再び地方に再配分されるものでもあるのです。したがって、当然のことながら、地方と港区の関係というものを真摯に考えていかなければならないと思います。
また、港区の役割は、そうした業務機能であると同時に、それにリンクして商業、文化、住、という機能があるわけです。それを支えている電気、ガスなどは、どこからもたらされるのか。それは他県に依存しているわけですから、私達は都心にあって、他県にも、感謝のこころを持たなければなりません。
電気などは、新潟や福島から送電されており、水は群馬や埼玉から導水され、送電のための鉄塔も、通過県の土地を借りて港区にもたらされています。
ですから、いろんな地域とリンクをして、都心の業務が成り立っていることは、肝に銘ずべきですね。
──昨年8月に都心区の区長らが集い、都心再生への提言が行われました。それがきっかけとなってか、都市再生特措法の整備が急速に進みましたね
原田
港区の場合で言えば、再開発総面積が220haですが、全体の約25%が、何らかの形でまちづくり計画の対象とされている所です。そのうち10%が既に終了しているわけです。残り15%のうち5%程度の面積で着工されており、10%近くは検討中ですから、トータルで25%くらいのエリアが、いわゆるまちづくり計画で指定されていることになりますね。
当然、港区も職員をそうしたところに派遣し、地域での勉強会も支援し、いよいよ現実的に着手することになれば、港区も補助金という形で応援をさせていただくわけです。本来、自治体が自ら、固定資産税と都市計画税を集める。しかし、東京の場合は、東京都と23区の役割との歴史的な経緯があり、23区の固定資産税と都市計画税などについて、全て東京都が徴収するわけです。再開発を行うと、良い意味で環境が良くなって、土地の値段が上がります。良い環境になれば当然土地の評価が上がります。そうすると、その固定資産税評価が高くなり、その税金は、本来、投資した地元に還ってこなければならない。ところが、高くなった分を含めて、全てが東京都の税収となってしまうのです。
そうすると、港区の行政はじめ議会、区民感情も含め、港区が、例えばある特定の再開発をして、仮に何年もかけて、100億円を投入した場合、1年では無理でも、何年かに分けて回収しなければなりません。ところが、都区財政調整制度という仕組みの中でしか戻ってきません。
そのため、特に再開発の動きが多くある都心5区の区長が集まり、やはり我々が投資したところに対して、何らかのリターンがあってしかるべきだということで、いわゆる調整3税と言われる固定資産税、都市計画税と、土地保有税の3つの税については、開発特区のようなものを指定し、そこに補助金を投入して再開発が出来上がった後は、例えば半分は、地元区に落とすべきで、そういう要請を去年8月に国土交通大臣と東京都に要請をしたわけです。それが一定の効果を得たと思います。
今度はこういう特区を作る中で、是非、再び都心区の区長が連携しながら、開発利益に対しての地元へのリターンを得られる制度を作って欲しいと思います。そのための要請はさらに続けていきたいと、思っています。
──この3月に法案となった都市再生特別措置法は、いわばそうしたアクションによって、国も動き始めたと言えるのでは
原田
ある種のインパクトにはなったと評価しています。また、いろいろな時代背景を見ると、例えば、OECD(経済協力開発機構)という国際組織がありますが、加盟国に対して、何年かに1回、都市開発のレポートを出すわけです。そこで、去年の秋には、小泉総理に日本の都市政策、特に大都市の都市政策についての勧告書が出されました。
その勧告書の内容は、港区に対するものだったわけです(笑)。例えば、景観を高め、国際スタンダードのまちづくりをすべきであるというものでした。
──そこで、再開発が動き出したということですか
原田
しかし、六本木6丁目などは17年もかかりました。OECDのレポートを見ると、やはり開発というのは、一定期間の中で仕上げなければならないというわけです。つまり、20年間近い時間がかかるということは、人間の人生もガラリと変わってしまいます。社会・経済状況にしても、すっかり変わってしまうわけですよ。だから、人間の人生、経済状況がある程度は読める範囲内で収束しないければならないという趣旨のことが書かれていますね。
また、日本の大都市の特性としては、敷地が非常に細分化されています。20坪から30坪とか、場所によっては10坪というところもあります。これは都市政策上、やはり問題です。やはり、共同化して一つの敷地として一体化し、道路を広げて、防災上、安全な構造にするようにすべきであるとも書かれています。
──区長は、建築の専門家でもあり、まちづくりには専門的知識が生かされるのでは?
原田
そうですね。私は自分のプロフェッションが一級建築士という立場なので、その立場からいろいろなところで主張していますが、都市再生特別措置法で評価すべきことは、既存の規則を白紙に戻し、地元でルールを考えようというところです。現行の建築基準法、都市計画法は、要するに全国一律なのです。港区で、こうした開発が完成すると、昼間は100万人都市になります。夜はおよそ20万人弱ですが、そういう都市も、人口1万人規模の地方都市も、同じ都市計画法・建築基準法が適用されるというのは理不尽ではないか。
例えば、港区のような都心区の場合には、実に多種多様なライフスタイルがあります。例えば、「私は十代目だ、十五代目だ」と、プライドを持って住んでいる人もおり、その一方では24時間、金融ビジネスの世界で働いている人々もいます。現在、東京の市場が動いており、一日の業務が終わると、次には地球の裏側へ回ってヨーロッパ・ロンドンの金融拠点が動きます。さらに7〜8時間も経つと、ニューヨークが動き始め、金融市場は24時間体制で動きます。このように、誰かが必ず交代でヨーロッパの市場、ニューヨークの市場など、深夜にも、東京で世界の動きをウォッチしている職員がいるわけです。そして例えば深夜2時に仕事が終わり、それから帰宅します。そうなると、遠くへは帰れませんから、港区内のマンションで生活をします。そして、朝7時くらいになったらまた職場へ向かいます。そうして生活をしている人が結構いるわけです。そうした人々は、せめて休みの時は、郊外へドライブにでも行こうとかなります。そうしたライフスタイルの方もおります。
現行の建築基準法では、住宅・マンションの場合、リビングルーム・寝室の窓の面積が床の面積の1/7以上でなければならない規則になっています。郊外の住宅地、地方の住宅地ならば、これはもっともなことだと思います。忙しいライフスタイルの人にとって、必ずしもマンションの窓が居室面積の1/7以上必要かどうかが疑問です。そこで、地域によっては、窓の面積は少し小さくても認めるなど、人口密度の低い地域と、昼間人口100万人という密度の高いところが同じ基準であることには疑問です。
それから、例えば、商業地には、マンションもたくさん建設されますが、下が24時間営業のコンビニエンスストアで、上がマンションになっているところもあります。コンビニエンスストアは、交通問題の関係で朝6時くらいに物品の搬入があり、ガラガラと大きな音をたててお店に入っていきます。また、エアコンも24時間、稼働しています。そのため、上の階ではまだ寝ているのに、朝6時くらいからそれらの物音で起こされてしまいます。24時間、作動している機械は、ほとんどが外に設置されているので、それが上に伝わってくるわけです。そのために苦情が発生してくるわけです。
複合都市を標榜し、業務も商業も住宅も共存するまちを作ろうと主張している港区の立場からすれば、そうしたマンションを作る時は、住宅は二重サッシにしてください、あるいは遮音性の高い50デシベルくらいの高性能のサッシを使用することを義務づけたいわけです。ところが今の法律では、やってやれないことはないでしょうが、強制的にできるかというと、条例を作る上で結構難しいところがあります。
それについて、国土交通省にお伺いをたてながらというのではなく、下が商店で上がマンションという建物には、住宅部分は50デシベル対応の遮音性のないサッシは確認申請を下ろさないことを、港区の条例に規定すれば、下ではビジネスが、上では生活が安心してできるようになります。
ところが、現状では全く義務づけができない状態です。こうした事例はたくさんありますから、それらの都心問題に対応する都心ならではの立法も、一旦白紙にして考えようということですから、今回の特措法は一歩前進といえますね。
──日本の場合は都心部を除き、外国に比べて超高層ビルが少ない。いろいろと規制があるとのことですが、超高層ビルのマンションであれば100年から200年はもつのではないかと、思います。そうであれば、結果的にはコストを抑制できることになるのでは
原田
ライフサイクルコスト、生涯コストを考えると、超高層ビル・マンションの場合は、そう簡単に取り壊しできませんからね。最低でも100年は保たせるという意気込みで作ります。設備、機械などは5年、10年で壊れるので交換するにせよ、躯体そのものは100年から200年は保つでしょう。
それを解体する場合も、構造の躯体費は、100年、200年対応だからといって、倍になるわけではありません。せいぜい2〜3割アップだと思います。内装はたとえどんなものでも同じですから。贅沢に作るか、つつましく作るかは別としても、超高層にしようと、低層にしようと経費は同じです。
その面積で割り戻してみても、それほどコストアップはありません。それでいて寿命が3〜4倍に伸びるなら、資産形成あるいは社会資本として見れば、トータルでは遙かに安上がりなのです。
──そうした意味でも、今回の特措法には夢や希望がありますね
原田
日本のような経済システムでは、大都市の中心部がエンジン役になります。したがって、良い意味での集中を認め、大都市が十分に機能を果たすような仕組みを作っていく必要があると思います。
今回の特措法は、今後の日本経済のあり方を考えても、大きなエンジン役を都心が果たしていく上では、理想的なのではないでしょうか。
──7月くらいには、具体的に指定地域が決まるとのことですが、区としての動きは
原田
7月くらいに、具体的に政令が施行されて動いていくわけですから、その時に、港区ではこういう場所が良いのではないか、こういう場所を適用させよう、と考えられるのではないでしょうか。

(第三回)

全国でも珍しく一級建築士のライセンスを持ち、まちづくりのデザイン監修の経験と技術を持つ港区の原田敬美区長は、技術者としての独特の美観に基づき、複合的な機能を持った都市の将来像を描いている。都の下水道事業の現場で、仮囲いに一流デザイナーによる装飾を施した上で、ファッションショーといった下水道事業とはおよそ結びつかない華やかなイベントが行われたのも、そうした美意識の反映と見ることができる。そうした美観に基づく理想的なまちづくりを実現するには、超えなければならない数々の高いハードルがあるが、大都市再生特別措置法によって、大都市特有の難問がどのくらい解決されるか、関心が持たれる。
──区長に就任する以前に、「まちづくりの現場から」というレポートを通じて、港区の理想像を語っていましたが、実際に着手すると、予算上の制約など難しい課題もあると思います。今までの2年間と今後の2年間の間で、考え方に変化が生じているのでは
原田
そのレポートとは、私が3年前にある専門誌に投稿した原稿のことですね。その時、私も東京周辺でまちづくりのお手伝いをしてきた勢いもあって、どうしても専門家として華々しいことを書いてしまう傾向がありました(苦笑)。
そこで、少し冷静に考えてみた際に、描き出した一つの理想像が出来上がるのに、どれほどの資金を必要とするかを考えてみようと思ったのです。例えば、線的な道路を整備した場合、1haにつきどのくらいの費用がかかったか、全面的に再開発をした場合には、どのくらいだったのかを、冷徹に見ていったわけです。20年前の資料ですが、他者の研究によると、道路整備には概ね1haあたりにつき、約2億円前後がかかるようです。全面的な再開発の場合では、1haあたり100億円くらいになるようです。
そうなると、20haというエリアにわたって思い切って絵を描き出してみると、全面開発の場合は2,000億円もかかってしまうことになります。
道路整備は2億円ということですが、自治体の土木費の予算はどうなのか。これはある区の4年前の数字ですが、その区の年間予算額は1,200億円で、土木費が160億円。そのうち都市整備関係の予算が30億円。区民1人あたりにつき、都市整備費は1万円なのです。それをhaに換算すると、150万円なのですね。これが冷徹な現実なのです。
したがって、港区で仮にそうした都市整備を実施しようという時、同様に都市整備費を人口で割り出し、さらに面積で割り戻せば、1人あたり、haあたりの数字が算出されるでしょう。先の例の区の場合は、仮に20haの木造密集市街地を安全にしようとする場合、人口をほぼ5,000人と想定すると、1人あたりで1万円ですから、単純に5,000万円しか投入できないわけです。また、面積配分費で見ると、1haあたり150万円ですから、20haで3,000万円しか投資できないということになります。これを10年間、1人あたりの予算額で投入したとしても5億円でしかなく、仮に政策的に倍額の予算投入したとしても10億円が限度です。
こうしたことから、都市整備・まちづくりというのは、資金面から見るとかなり厳しい事業なのだという結論が、クールに導き出されます。だからこそ、むしろ政策的に力を入れて、投資すべきところに惜しみなく投資しなければ、まちはいつになっても良くならないわけです。
それから、港区内にも拡幅が4m未満という規格の道路がたくさんあります。この整備を進めていくためには、沿道の家屋などを建て替える場合に、中心線から2mセットバックをしてもらい、両サイドでそれが行われれば4m幅を確保できるという建前はあります。しかし、現実にはなかなかそうはなりません。それを守ってもらったとしても、あるエリアを調べてみると、立て替えの頻度は30年に1回と想定して計算すると、路線の一定の延長が4mに広がるには、90年もかかってしまう計算になるのです。これは非現実的な話です。ですから、これを行政力と関係者の理解によって、どう効率よく推進すべきかという課題があります。
──世代交代が、一つの機縁になるとの見解でしたね
原田
私はこのレポートの中では、ある種の価値観、文化論のようなものを提唱しました。つまり、「代変わり20年の計」ということについて書いたのです。
旧住宅地に居住する高齢者は、昔の価値観に固執し、どんなに狭くても自分の土地が大切で、猫の額ほどの土地でも庭があるのが良いことという価値観を持っています。
土地が動く時というのは、いろいろなケースがあるにしても、庶民生活においては相続の時くらいしかないものです。そうした高齢者が地方から出てきて、やっとの思いで20坪くらいの土地を取得し、猫の額ほどの土地であっても庭として植木を置き、家屋は2階建にしてギリギリのスペースの中で生活をしています。そういう方々が代変わりをしていかない限り、新しいライフスタイルを享受できるようになるのは、次の世代になるのです。これを指して、「代変わり20年の計」というタイトルを付けたわけです。
振り返れば、昭和30年に住宅公団が発足したとき、1戸あたりの電気の受電量はわずか5アンペアでした。現代では60アンペアから70アンペアに及んでいます。当時とは時代が全く違うわけです。しかし、最近の高齢者らは、電球2つくらいに電気製品もラジオくらいしかなかった時代を生きてきた世代なのです。そうした人々が、現代のライフスタイルにどの程度追いついていけるのか。
  したがって、トータルな意味での代変わりがなければ、まちづくりというのは進まないのではないかと言えます。逆に、行政としての立場から言えば、代変わりをスムーズに促しつつまちづくりを実現していくという発想が必要ですね。
──やはり一級建築士の資格を持つ、まちづくりの専門家である区長としての発想が生かされています。ところで今回の特措法は、全国的に注目されていますが、どれほど、そうした専門家としての発想に答え得るかが問題ですね
原田
今日のように大きく社会経済が変化する中で、一級建築士という資格を持ち、まちづくりを研究してきた私が、行政を預かる立場になったというのも、一つの機縁、因縁なのかという気もしています。区民の期待に応えるべく懸命に努力して、良い都市開発を実現していきたいと思っています。いろいろな都市機能をミックスし、互いに共存できる機能を持ったまち、そして古くから住んでいる人も、港区に住みたいと移住してくるいわゆる新住民も、共存できるまちにしていきたいですね。
外国人も120ヶ国の人がいて、宗教観の違いもあります。日本人は、生活の中で宗教を意識している人は多くいませんが、外国人は、食事にせよ何にせよ、常に宗教的な背景を背負って生活をしていますから、そういう人々とも共存できる、まさにコスモポリタンのまちを作っていくべき時代になりました。
──まちづくりの課程において、注目すべきことがありました。下水道施設の工事現場の中でファッションショーが行われていましたね
原田
世界的なデザイナーであるコシノジュンコ氏は、今や知らない人はいない有名人ですが、氏の自宅前に、偶然、下水道工事の仮囲いができたのです。ご承知の通り、工事現場の仮囲いというのは、見るからに殺風景です。そのため、コシノ氏は、そういうものが自宅前にできて視界を塞がれたのでは、と困惑されていました。そこで、コシノ氏から、仮囲いに何かデザインさせて欲しいとの申し出がありました。
港区としても、景観行政の一環として、殺風景でない仮囲いの工夫を呼びかけており、しかもそこは、港区の公園を3年間、都下水道局に工事基地として貸与している土地でもあったので、本来は行政として自主的に対策を行うべきところではありましたが、デザイナーであるコシノ氏からの申し入れは、ある意味で願ったり叶ったりでありがたいものでした。そこで是非ともお願いし、コシノ氏にデザインをしていただき、そこで華々しくファッションショーを催すことになったわけです。
──一般的には、そうした前例のない試みを、行政は回避したがる傾向が見られるものですが
原田
むしろ、このアイデアにはいろいろな方が深い関心を持っていました。そのお陰で、企画は大成功に終わりました。これを契機に、港区において、一定期間、一定規模の工事現場の仮囲いは、全てに何らかのデザインを施してもらうということにしました。
言うまでもなく、港区発注の工事現場についても、単なる白い、あるいは金属の塀のままではなく、できるだけデザイン性の高い仮囲いにするよう指導しています。
──港区のまちづくりは、外国の大学の教材としても活用されているようですね
原田
昨年に、ハーバード大の学生12名が港区を訪問し、設計演習のために、港区をケーススタディーに取り上げたのです。実は、そのハーバード大の大学院長は、私がかつてアメリカ留学したときの指導教授だったのです(笑)。まだ50代の若手で、私より少し上というくらいの年齢です。
40代半ば頃に、ハーバード大の大学院長に就任しました。これがご縁で、私が区長に就任した際に、「大学の設計演習の題材として、港区を使わせて欲しい」との要望があり、ボストンから飛行機に乗って学生を引率して、防衛庁の跡地などで演習を行ったのです。
その成果は、雑誌『新建築』の4月号に一部が紹介されました。明治大学の小林教授がコーデイネートし、経緯や内容などが説明されているので、是非とも多くの方々にご覧いただきたいものです。
日本の制度などは全く知らない学生達が、区にも訪れていろいろと取材し、わずか3ヶ月でまとめ上げたのです。驚くべきことであり、素晴らしいことです。
──ところで、区長としては、二期目の折りかえし地点を迎えましたが、2年間を振り返ってどう評価していますか
原田
私は、行政官でなく民間社会からこの役職に就任したので、行政や政治については、全くの素人でした。その意味では、区の職員が懸命にサポートしてくれましたし、議会も、特に私を支えてくれる会派の方々が支えてくださいました。これには深く感謝しています。おかげで、何とか大きな失敗もなく、区民の期待に応えるべく、やって来られたという思いを持っています。
私の場合は、前区長の後継者として指名され、前区長からの区政を継承しつつ、発展させるというのが使命でしたから、それを基本方針として邁進してきたつもりです。また、これからも引き続き、職員や議会の方々に支えていただきながら、区民にも、社会経済背景の中で、港区が果たすべき役割は何なのかを広くご理解いただいて、世界から注目される大きな動きをしている港区が、適切な形である種のビジョンに向かって頑張っていきたいと思います。
ちょうど折り返し地点直前の4月には、地方自治法で義務づけられている基本構想に関する答申を頂きました。そして現在、区議会で審議いただいております。その構想のキャッチフレーズは「やすらぎある世界都心・MINATO」です。個別のプロジェクトについては、今後のビジョン・将来像に適合した方向へ導く作業を、残る2年間の間に実行していかなければならないと思っています。

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